3.中世の哲学

  1. キリスト教
  2. 1世紀半ば、パレスチナでキリスト教が興りました。
    やがて、キリスト教は西洋全土に広がり、深く民衆のなかに根づいていきました。

    中世は、キリスト教が強大な権威だった時代です。
    キリスト教会の権限は、しばしば国王のそれをも凌ぐほどのものでした。
    この時代に生きた西洋人にとって、キリスト教は当然の真理です。
    哲学者たちにとっても、それは例外ではありませんでした。
    当時、キリスト教は大前提でした。

  3. アウグスティヌス
  4. プラトンは言いました。
    「イデアは永遠の存在である。そのイデアを基準に、世の中のものは作られている」
    ところが、聖書は次のように語ります。
    「神は、無から世界を創造した。それがすべての始まりである」

    永遠の存在か、それとも、無からの創造か。
    この二つの物事の捉え方は、真っ向から対立します。
    ところが、この二つの捉え方は両方とも正しい、と考えた哲学者がいました。
    アウグスティヌスです。

    イデアは、確かに永遠の存在です。
    しかし、プラトンの最大の誤りは、それを自分の頭で捉えようとしたことです。
    そもそも、イデアを完全に知っているのは神だけです。
    人間がそれを知りたければ、神に頼るほかありません。
    永遠の存在であるイデアは、神のなかにこそ宿っています。
    神は、そのイデアを基準にして、無から世界を創造したのです。

  5. トマス・アクィナス
  6. アリストテレスは、注意深い観察の積み重ねによって世界を解明しようとしました。
    そこでは、(観察から得た)知識が大切になります。
    一方、アウグスティヌスは、人間の知には限界があると説きました。
    そこでは、(人知の及ばないところの神への)信仰が大切になります。

    このように、知識と信仰は対立します。
    ところが、知識と信仰は両方とも大切だ、と考えた哲学者がいました。
    トマス・アクィナスです。

    一体、この世界を創った神の目的は何でしょうか。
    それを知るためには、アリストテレスのやり方で世界を解明していくことが大切です。
    しかしながら、世界はあくまで被造物に過ぎません。
    被造物をいくら研究しても、創造主である神自身についてはわかりません。
    そこで、神自身について記されている聖書の研究が大切になります。
    ですから、世界の研究と聖書の研究は、どちらも取り組むべき大切な研究です。

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