1.ギリシア哲学(1)

  1. 神話批判
  2. 紀元前700年頃、詩人ホメロスらによって、ギリシア神話が初めて文章化されました。
    まず、その前後の経緯について簡単に述べます。

    もともとギリシアでは、神話が人から人へと語り継がれていました。
    しかし、語り継がれる神話の内容は、地方によってまちまちでした。
    ホメロスらは、ギリシア各地を巡り、これらを数冊の書物にまとめ上げました。
    こうしてギリシア神話は、書物を通して読み継がれていくものになりました。

    さて、このホメロスらの仕事は、ある大きな役割を果たしました。
    (ホメロスら自身がそう意図していたかどうかはわかりませんが)
    それは、ギリシア神話についての実のある議論を可能にした、ということです。
    なぜなら、人々が、同じギリシア神話の内容を共有するようになったからです。

    こうして、ギリシア神話について、積極的に議論が交わされるようになりました。
    やがて議論が盛んになると、神話そのものを批判する人々も現れるようになりました。
    主な批判は、次のようなものでした。
    「(実は)我々人間が、自分たちの姿になぞらえて神々を創ったのではないか」

  3. 自然哲学者
  4. 太陽、海、大地などの自然の営みは、もともとギリシア神話のなかで説明されていました。
    太陽の神、海の神、大地の神。
    このように、自然の営みそれぞれに対応する神々の物語として。
    また、その神々によってもたらされた、世界誕生の物語として。

    これに対し、自然の営みの、神話に拠らない説明を目指した人々がいました。
    紀元前6世紀頃のことです。
    彼らは、今日、「自然哲学者」と呼ばれています。

    自然哲学者たちは、自然の営みを、自然に即して説明しようとしました。
    そのため、自然の営みを注意深く観察しました。
    ある人は、すべてのものを作るおおもとの素材を突き止めようとしました。
    ある人は、自然のあり方そのものについて問いました。

    タレスは、西洋哲学史上、最初の哲学者とされている人です。
    彼は、すべてのものを作るおおもとの素材を突き止めようとしました。
    そして、自然をつぶさに観察した結果、次のように考えました。
    水がすべての起源である、と。

    アナクシマンドロスという哲学者は、タレスの考えに異を唱えました。
    土や火を作る素材も、水自身を作る素材も、ともに水であるなんておかしい。
    ・・・そう考えたからです。
    彼は、これらとはまったく別の物質である「アペイロン」というものを想定しました。
    「アペイロン」というのは、「無限定なもの」という意味です。
    つまり、水、土、火のような特定のものには限定されない別のものです。
    彼は、この「アペイロン」がすべての源だと考えました。

    一方、ヘラクレイトスという哲学者は、自然のあり方そのものについて問いました。
    そして、目まぐるしく変化することこそが、まさに自然の原理だと考えました。
    「万物は流転する」
    彼はこのように言った、と伝えられています。

  5. パルメニデス
  6. タレスとアナクシマンドロスの自然観は、ともに次のようなものでした。
    「すべてのものを作るような、おおもとの素材がある」
    しかし、そのような物事の捉え方がそもそも間違っている、と考えた哲学者がいました。
    自然哲学者の一人、パルメニデスです。

    仮に、おおもとの素材が「水」だったとします。
    それが「土」を作る、ということは、何らかの方法で「水」が「土」に変化する、ということです。
    「水」が「土」に変化すると、どうなるでしょうか。
    最初にあった「水」はなくなります。
    その代わり、新たに作られた「土」が出てきます。
    つまり、「水」が消えて「土」が現れる、ということになります。
    これが、おおもとの素材である「水」が「土」を作る、ということの意味です。

    しかし、それまであった物が突然消える、などということが起こりうるでしょうか。
    あるいは、それまでなかった物が突然現れる、などということが起こりうるでしょうか。
    このようなことが起こりうるとは、とても考えられません。
    「水」は「水」であり続ける以外になく、「土」に変化することはできないはずです。
    「アペイロン」も、あくまで「アペイロン」であり続けるはずでしょう。
    ですから、何かが別のものに変化する、という捉え方自体がそもそも間違っています。
    パルメニデスは、これを次のように表現しました。
    「あるものはあるのであって、ないものはない」

  7. デモクリトス
  8. ヘラクレイトスは、自然の変化を積極的に認めました。
    一方、パルメニデスは、何かが変化すること自体を認めませんでした。
    この二人の物事の捉え方は、真っ向から対立します。
    ところが、この二つの捉え方は両方とも正しい、と考えた哲学者がいました。
    最後の自然哲学者、デモクリトスです。

    彼は、「原子」というものを想定しました。
    原子とは、それ以上小さい部分に分けることができない最小のものです。
    ですから、形や大きさが変わることはありません。
    また、消えることもありません。
    原子は、同じ原子のままであり続けます。
    ただし、原子には様々な形のものがあります。
    丸い原子もあれば、でこぼこの形の原子もあります。
    そして、すべてのものは、これら原子の”組み合わせ”によって作られます。
    作られるものは、原子の組み合わさり方に応じて決まります。

    このように考えれば、自然の変化についても納得のいく説明がつけられます。
    つまり、自然が目まぐるしく変化するのは、原子の組み替えが絶えず起こっているからです。
    決して、何かそのものが変化しているわけではありません。

    しかし、原子の組み替えは、いつも偶然に起こっているのでしょうか。
    まったくの偶然にしては、自然はうまく出来すぎている気がします。
    すると、原子のほかに、自然に働きかける力や精神的な何かがある、ということでしょうか。
    ・・・デモクリトスは、こうしたものがあるとは考えませんでした。
    彼は、すべては何らかの不変の法則に従っているのだと考えました。

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